むむむ、めずらしく兄弟連投記事っス

OLYMPUS TRIP 35 D.ZUIKO 40mm/F2.8 フィルム/たぶんベルビアかプロビアだったうような・・・
北海道で氷の上に浮く鳥たちを見ていると冷凍食品によくならないものだ、と変に感心をしてしまう。鳥の羽には油があってそれが水を弾くのです。その油はオシリ穴の周辺から出るらしい。オシリの穴の周りからにじみ出るアブラ。通称(誰もそうは言っていないが)『アヌス・オイル』。
そいつを体に塗りたくる鳥の気持ちを少し想像したくないのであった。
野鳥の撮影はお金が掛かります。かけないとこんなブレた作品を量産してしまうことになるのでした。写真は好きですが、バズーカ(大口径望遠レンズ)を三脚でぶっ放すのは僕のスタイルではないので、いくら野鳥を見るのと写真が好きでも撮影してここにアップするようなことは決して無いでしょう。
と、言いつつデジカメをズイーンとズームして
遠くのスズメなどテスト撮影してみるのであった。
本の中の想い出
毎朝混雑する上り電車を見送りながら下りの電車に乗り込むと、三駅先にある大学の学生らしい若い人達以外には、勤め人風の人物がちらほらといるだけで、車内にはいくつもの空席がある。ぼくはなるべく誰からも遠くなる位置に腰掛けると、朝の眠気と仕事への倦怠感から眼を閉じるのだけれど、大学生たちと同じ三駅先の駅で降りるので眠ることはできず、ただ電車が線路の継ぎ目毎に立てる音をぼんやりと聞いて一つ二つと通過して行く駅を数えている。
職場から歩いて五分のところに市立図書館があり、この頃は毎日休憩時間にそこへ行って過ごす。本を借りることもあるし、本棚も全く見ずに椅子に座っていることもある。ただ本が沢山ある空間にいる、ということが大切で、ぼくはそれだけで全世界の何処へでも行ける旅券を手に入れたような気分で、その旅券をいつ使おうかと考えている時みたいに、自分の可能性が無数の点線であちこちに繋がっていると感じてわくわくするのだった。
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もう何年も前の夏のこと。兄のいる福岡に遊びに行ったとき、お金はなかったが時間だけは無限にあったぼくたちは、昼食用に弁当を作り電車に乗って少し遠出をすることにした。
「いい所があるんだ。お前が福岡に来たら連れて行ってやろうと思ってたんだよ」
そう言った彼は券売機で二人分の切符を買ってきて、そのうちの一枚をぼくに渡した。平日の通勤ラッシュも過ぎた午前遅くの時間帯で電車はとても空いていた。車窓からは地元の東北よりもずっと強い九州の日差しが、じりじりと景色を焼くように照らし付けているのが見えた。だんだん高い建物が少なくなり。もともと少なかった乗客もほとんどいなくなっていた。
着いたのはある町の複合施設でその施設内には温泉と図書館があった。温泉には平日の昼間でほとんど誰もいなかったが、温泉には歩行浴がついていて、そこで数人の老人が歩いていた。ぼく達はそこに混じってクルクルとお湯の中を歩いた。温泉から上がるとぼく達は弁当を食べ、図書館に行き、それぞれ好きなように過ごすことにした。当時ぼくは池澤夏樹さんの『スティル・ライフ』を読んだばかりで、自然に池澤さんの他の作品を読もうと本棚の「い」の列を探していた。そして普通の単行本の形態とは少し異なる、横長で他の書籍から背中が一つ飛び出している本を見つけた。
その本は『やがてヒトに与えられたときが満ちて
』という作品だった。近未来を舞台にしたSF作品で、地球を離れた人類が宇宙に浮かぶ植民都市で生活している。彼らは地球のことをほとんど知らず、それを探ろうとするものは追憶主義といわれ、取り締まられていた。
ぼくも兄もその図書館のある町の住人ではないので本を借りることが出来なかった。そのためぼくは一日かかってその本を読んだ。時間があっという間に経って気付いてみると、窓の外で建物や樹木から長い影が伸びて、もう午後の遅い時間になっていた。ぼく達はまた来たときと同じように電車に揺られゴトゴトと帰った。
仕事の休憩時間に目的もなく棚を見ていると、横長で他の書籍から背中が一つ飛び出している懐かしい装丁の本に出会った。ぼくはそれを取り出して、椅子に座って読んだ。さすがに一時間しかない休憩で時間を忘れるわけにはいかなかったので、しばらく読んでから受付に持って行き貸し出し手続きをした。本はそこに描いている物語の他に、想い出も蘇らせる。仕事から帰宅後、家でその本を読みながらぼくはそんな懐かしさにとらわれていた。
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旅に出たいココロ
そろそろ梅雨に入る時期ですが、五、六月は寒すぎず暑すぎず、旅には丁度良い時期です。一番最初に兄弟二人でした旅がこの時期だったためか、五、六月は無性に旅に出たくなります。雨が多い旅はMOTIONのロケには不向きですが、旅としてはそれはそれで楽しいものです。男二人で車中泊をしていると、だんだん臭って来るのが珠に傷ですが(『道の駅雫石より』を聞いて下さい)
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現実からの逃避をしてしまいたくなる現状がどこかへ行きたい気持ちに拍車をかけて、とりあえず苦肉の策として旅の写真などを見返していました。ついこの間九州を旅行したと思っていたらあれは一月のことで、現在もう六月になろうとしているということに気がついて、驚いてしまいました。死ぬかと思うほど極寒の中、テントの中で明かした夜は今ではすっかり辛かった感覚が抜け落ちて、良い思い出になっておりますが、ビデオを見返していたら我々二人が朝テントから抜け出して、テント脇に置いていたポリタンクの中の水が氷になっているのに驚いている映像があり、その時の感覚が爪先からゾゾゾっとよみがえって来ました。
時間があればこの映像を編集したいのですが、毎日忙しいせいで全然手が付きません。週五日働いていると東京近辺だとあまり出かけたいところもないし、土日はだいたい寝て過ごしてしまう駄目な私であります。最近は土曜日に近所の蕎麦屋に行くのが唯一の贅沢、そして楽しみです。
最近あまり本を読めないでいたのですが、昨日本棚を眺めていたら随分前に読んだ池澤夏樹さんの『スティル・ライフ』が眼に入り、手に取って読み返していました。僕はあまり読み返している本はないのですが、この本はもう何度も読み返していて、手元にないとつい買ってしまうほどです。現実に翻弄されているこの頃、自分の目の前しか見えていないような狭い視線から、天体の視線のような巨視的なものの見方をすることで世界の見え方は変化するのだ、ということをこの本を初めて読んだ当時考えたことを思い出し、僅かに気持ちがリラックスしました。
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久しぶりに作品集

Konica C35 HEXANON 38mm f2.8 kodak 400
久しぶりに作品ぽい写真をアップしてみよー
宮崎県、日向の海沿いで。
こういうコニカの描写、やっぱり好きだ。自分の旅カメラに一番合っている。
実は最近もう一台同じ機種を買ってしまいました。今度はブラックボデーです。
口蹄疫騒ぎで大変な宮崎県ですが、一刻も早い事態の収拾を祈っています。
野宿と言えるかどうか微妙な野宿
大分県から宮崎県にかけて杉ヶ越峠を越えて遠路はるばるやってきた日之影町での一夜。
急な絶壁を両側に持つ渓谷の河川にはどう探しても野宿出来る場所は見つからなかった。
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こんなこともあろうかと日之影町の手前に手頃なキャンプ場を見つけてあったのだが、
あろうことか、この日キャンプ場は連休を利用した行楽客で溢れかえっており、
一人用の小さなテントを張るスペースさえほとんどなかった。
しかたがなく周囲を散策した結果、キャンプ場の下の方にある川沿いの林道脇に小さな空き地を発見した。即、ここを今日のキャンプ地とする。
焚き火を起こしてビールを飲んでいると川から帰っていく釣り師に天然の魚を差し入れして頂いた。ありがたく頂戴し、ハラワタを出し、塩焼きにしてそれで酒を飲む。
もしかしたらキャンプ場にも泊まれない哀れな旅人と同情されたのかもしれない。
頭上には賑わうキャンプ場があり、トイレや水道まではやや遠いもののこちらはしっかりと利用させてもらった。キャンプ場から離れるだけでこうして静かな一人の夜をゆっくりと過ごすことが出来るのが痛快で、こんなパターンもまたアリかと一人ほくそ笑んだが、場合によっては地元の自治体やキャンプ場の管理人などに厳しく注意されかねないのであまりおすすめは出来ない方法かもしれない。
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