まえがき

第二期の旅(ロケ)はとても長期でした。純粋な旅としてではなく、カメラを回しながらの旅としては今までで一番長い旅でした。以下の文章は二期の旅の最中に、わたくしkiyoがPDA(CLIE)でつけていた日記を若干の修正をし、加筆したものです。しかし微妙な表現の間違いや、現在ならもっと前向きに捉えるであろう土地土地に関しての感想などは、そのままにしています。

この文章を書いてから時を隔てた現在思うことは、旅で訪れる土地というのは、こちらが心を開かなければその良さが解らない、ということです。今またこの旅で訪れた地を旅をすれば、当時と違った捉え方で様々な楽しみ方が出来るだろうな、と思います。

読みにくく、なかなか長い文章ですが、しかし旅をしながら、その時その時の言葉で書いていますし、また当時の動画もありますので臨場感があるのではないかと思います。

2010年1月3日 東京にて

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奴が来る

ドカジャン

 いざ新潟、といって用意をしているのだけれどもどうにも腰が重い。何故と言って自分は最近までとんでもなくダウナーな気持ちだったので、もう少し自宅養生をした方がいいのではないかと思うからである。しかも斯様な雨の日に何も新潟くんだりまで出かけて行かなくても良いのではないか、という疑念が頭の中で正当な意見として衆議院を通り、いま参議院を通る勢いなのである。しかし今日は大儀なことに福岡から愚兄が来る。これをほったらかして置いちゃっちゃあ明日からあっち自分は甘美な堕落を許されなくなるので「ああ、嫌だな。行きたくないな」なんて思いながらこの様に用意をしているのである。写真はダイソーで買った圧縮袋でドカジャンを圧縮したところ。掃除機が無くてもいいので旅にはかなり便利。

新潟紀行〜冬の逆襲〜

 新潟県三条市で愚兄をピックアップ、入広瀬から只見に抜けて『むら温泉』とい温泉に入浴し帰宅。概ねこの様なコースで行われた今回の出迎え小旅行は「春眠暁を覚えず」という基本的に「眠気」が先行した小旅行でした。

 道の駅入広瀬で車中泊した。入広瀬に到着したのがだいたい深夜二時で、それから御酒を頂いて床についたのが三時、しかし朝五時半、不届きな連中の行いによって目が覚めた。一見して釣り人と思しき連中はかかる広い駐車場で何故か私の車の両サイドに駐車し、かしましく釣りの準備を始めたのである。しかしこの場合まず第一義的に考えるのは今日の釣果などではなく、隣の車の存在であり、中で人が眠っているであろうことは明らかに分かるのであって、彼らも釣り人というアウトドアマンであれば、いや、まず人としてここはやはり「人が眠っているなあ、静かにしなければいけないなあ」と思うのが当然で、先週の釣果や新しい竿、疑似餌等の一般の尺度でもって興味の湧かない自慢話に興じている場合でなくてさっさと静かに準備を行いブラックバスでもブルーギルでも釣りに行けばよいのである。だが彼奴等はそのまま一時間以上に及ぶ無駄話を私の車の脇で続け、上から下まで高そうな釣り人用のカッパを着用しやっと釣りに赴いていった。

 すっかり眠気をそがれた私と愚兄は顔を洗うべく外に出たのだが、そこには小さな沼に我先にと陣地を争う釣り人の姿が群れよろしく広がっておりしかも全員が上から下まで高そうな釣り人用のカッパを着用している。「あれって普通のジャージで駄目なのかな」と呟く愚兄に私は「馬鹿野郎、お前あれが着たいから釣りするんじゃねーか」と一つの心理を彼に諭し仲良く並んで便器の前に立ったのである。

 その後、一時間かけて入広瀬から只見に抜ける峠を超したのだがその峠は至るところに雪が残っていて過ぎ去った冬の逆襲を感じ、と同時に桜が満開という季節感のおかしな風景を目の当たりにしてしまった。

 そして田子倉ダムの駐車場で疲れて昼過ぎまで睡眠し温泉に入り、田島町でソースカツ丼を食べた。南会津ではカツ丼と言えばソースカツ丼で、「カツ丼」と注文すれば、まず卵でとじたカツ丼は出てこず、ご飯の上に千切りキャベツを敷き、その上にソースに浸かったカツが載ってくるというのが普通である。これはなかなか美味である。そしてソースカツ丼を食して腹の出た我々はおくびしながら帰宅したのでした。

  • 雪
    あちこちに雪が残る
  • 満開の桜と残雪
    満開の桜と残雪
  • 田子倉ダムで休憩中
    田子倉ダムで休憩中

四万ダムで車中泊

四万ダム

 五月十七日、群馬県中之条町、エメラルドグリーンの湖面が美しい四万ダムで車中泊。出発時間が午後四時前という非常に「オメェ、やる気あんのか」と言われると返す言葉もない「もうちょっと、ちゃんとやろうよ」と我ながら思ってしまうスタートだった。けしてこれから福島県から山口は下関まで、そしてその後四国に行きたいという者の旅立ちでない(註記、実際には岡山から四国に渡っていますが、当初は下関まで行く予定でした)。

 何故そのようなスタートになったのかと言って特に理由がない。一つ言えば前の日に深夜遅くまで起きていたからというまったくもって正当な理由ではない。しかしこれでも一応これだけ大きい旅に出るのだから広げた風呂敷に見合う程度の気負いは持っているのである。実は結構、胸中では燃えていて「うぉぉぉー!」などと叫んでしまったりはけしてしないのだけれども、貧乏ゆすりと称されるものを意味もなく(貧乏ゆすりとは元来意味はないものである)カクカクカクカクしてしまったりするのだ。

 一日目四万ダムまで来た理由はやはり温泉に入浴したいという理由によるものである。とある消息筋によればこの四万ダムを作る折、地質調査をしていたら偶然にも温泉を掘り当ててしまったという。そしてこれを町営施設として整備したのだが実は、この町営施設の他にただで入れる秘湯が近辺に隠されているらしく、これに入浴したいがために深夜になるまで運転を続け(それは出発が遅かったせいだ)ここまでやって来たのだ。そしてその秘湯に至る道を発見したのだが残念なことにゲートが降りており、しかも熊注意という警告までご丁寧痛みいることに出ていたので、さすがに徒歩十五分の道のりと言えどこの道を深夜歩く度胸も持てず、取り合えず朝になるまで待つという方針にして雨も降っているし、熊も出るようなので車中泊する事にしたのである。おやすみなさい。

ブルーシート湯

 五月十八日、午後十時前。本日の行程は…行程というのもはばかられるのだが、まずは昨日の続きから書くことにしようと思う。

道

 早朝、例の群馬の秘湯を目指し林道を目覚めたてのあまりぱっとしない頭で歩くこと十五分、目の前に現れたその野湯は私のあまりぱっとしない目覚めたての頭をいきなりショートさせるような様子でそこに現れた。なんということか野湯は見るも無惨な姿でそこに存在していた。湯船の壁が壊され、管理している町もそんな状態で湯を出しておくのは無駄だと判断したのか湯は一滴たりとも出ておらず、我が眼前にその壊れた元風呂が一つ、ただ存在していた。なんともやるせない心持ちで佇んでいるとその元風呂の下方で僅かに湯気を立てている一筋の流れを発見した。

 触れてみると温かく、それが温泉であることは容易に理解できた。そしてその流れが溜まり湯船と言って言えなくはないモノがそこにはあったのである。しかしそこには沈澱した泥、落葉、なんだかよく分からないもの等がヘドロとなって溜まっていて気色悪いことこの上無なく、けして入浴どころではない。しかし、ここまで来て入浴しないという事態をそこまでは黙ってついてきていた愚兄が許さなかった。

 「どうにかして入れるようにしよう」と言う彼の熱意は、けして本人が入りたいというわけではなくて画的においしいからという下らぬ理由で若手タレントに無茶させるベテランお笑いタレントよろしく悪人根性に染まっており、この「どうにかして入れるようにしよう」はこの場合私に体を張れと言外に言っているのである。そして彼は端の方に置いてあったブルーシートをそのヘドロの上に敷き詰め私に入るようにと言ったのである。強制的に上半身を裸にされ、ズボンの裾をまくり上げたスタイルでブルーシートの湯船に軽く入浴した。湯がぬるく気持ち良くなかった。

 今日の宿泊地は糸魚川の近くの河原で、夕食にはレトルトカレー。寝床はテント。それにしてもこのようにキャンプで食べる食事は、たとえレトルトカレーであっても、とても美味しく感じる。

  • キャンプ地
    キャンプ地
  • レトルトカレーを食べる
    レトルトカレーを食べる
  • 日記を書くkiyo
    日記を書くkiyo

道の駅平のドリフターズ

 五月十九日、宿泊した糸魚川の河原を六時前後に出発して国道8号線を南下する。朝方になって降り出した雨に少しやる気をそがれながらも前進を続け目指しているのは世界遺産、岐阜県白川郷。

 富山県に入ると雨は上がり日差しが照りつけて一寸前までが嘘のように晴れてきた。しかし、またしばらくすると大粒の雨が降ってきて、気象情報を見ると台風が近づいているという事が分かった。空は晴れたり雨を降らせたりを繰り返しながらも次第に大粒の雨を降らるようになってきていた。そして午後二時過ぎ、富山県庄川市付近で温泉に入っていると激しく叩きつけるような雨が降ってきて今日のこれ以上の前進をためらわせた。

肉じゃが

 来る途中に見つけた東屋に逃げ込み、肉じゃがを作り、ご飯を炊いた。これを本日の夕食とし、これより先に進むか否かを考える。肉じゃがとご飯を多めに作り余った分をポリ袋で密封して手製のレトルト食品を制作し、取り合えず白川郷へもう少し近づくため道の駅平という場所を目指した。現在午後八時半、道の駅平で車中泊中。風が凄く強い。

最悪な一日

白川郷

 五月二十日、八時起床。旅の最中にしては遅い目覚めである。というのも夕べ早くは寝たのだけれども、宿泊地道の駅平は地元の走り屋達のたまり場だったようで深夜奴等の車の音で安眠を妨げられたことによって生じた寝不足を回復すべく努めた結果、かかる時間に起床いたすことになったのであり、断じて私が横着なせいでこのような時間に目覚めたのではないのである。この日は栃木県、岐阜県にまたがってその名を広く轟かす世界遺産白川郷の合掌作りの家々を見た。ご存知の方も多いと思うけれども福島県には大内宿という日本建築群があり、ここは私がそこからそんなに距離を隔てていない場所に住んでいるせいかどうにも商売っ気「こういうの珍しいでしょ?」みたいなものを感じてしまい好きになれないのだが白川郷もなかなかどうして、観光客になれている様子で商売上手な感じがした。

 まず駐車場に入るや中年の男性が寄ってきて駐車料と称して三百円をもぎ取っていった。みるとその中年男性は車が来るとその全てにチョカチョカと寄っていき三百円を徴収しているようだった。合掌作りの建物はたしかにある一定の水準を越えた感動を与えてはくれたが、自分としては何か納得のいかぬ心持ちになったのである。

yunohira

 その後そこから40、50キロ位の場所にある『湯の平温泉』に入浴し、その付近にテントを張る。ご飯を多めに炊き夕食と翌日のために手製レトルト飯を作り、お腹が満ちたところでテントに落ち着いていると高度の高い場所のせいか日が暮れてくるに連れて外気が下がり地面から冷気がシンシンと伝わって来た。ここまで体制を整えておきながら寒さに耐えきれず移動をする事にした。

 しかしこの判断が後に私の人生史上一、二を争う最悪の事態を招く事になった。その内容は、今はちょっと傷が癒えてないこの身で語るには重々し過ぎるので旅が終わってから、もしくは旅の最中でも元気が出てきたら書きたいと思います。で、その日は道の駅パークイン丹生ヶ丘で車中泊した。

 翌21日、睡眠時間は恐らく3〜4時間程度。明らかに寝不足であり身体の方もだるく、まさに絶不調である。その身体に鞭打ち福井県美浜町で三方五湖を見学し大飯町で車中泊にする。夕食は湯豆腐、コンソメ野菜スープに第三のビール一本でテンションはレッドゾーンへ、焚き火をいたしながら昨日の事件が不穏に頭をよぎるが頭の隅に追いやってイェーイ!

 それで現在21日、午後10時。焚き火も良い感じで熾きになって来たのでそろそろ寝ます。

 22日、兵庫県の生野町という所から段々峰峠という恐ろしい峠を通り、恐ろしい体験をする。車の行く手を阻む落石などをよかしながら進むがまったく終わりが見えない。打ち捨てられた廃屋などが恐怖心を煽り、ある一台の車とのすれ違いが我々を恐怖のどん底にたたき落とした。「今の車、目張りがしてあった」という愚兄の一言。サーっと血の引いていく音が私の耳に聞こえた。こんな峠一刻も早く出なければと焦る我々、しかし峠は際限なく続いて行く。ようやく国道に出る頃には我々は息を切らしており、 その後温泉に入ったがそのことはあまり良く覚えていない。道路脇のパーキングで眠。

  • 焚火
    焚火
  • キャンプ道具とshin
    キャンプ道具とshin
  • 意味不明な舞を舞うshin
    意味不明な舞を舞うshin

四国到着

 23日から四国に入りゆっくりする暇がなく日記も滞ってしまった。フェリーで高松港へ入港した後、即座にうどんを喰らいその日は道の駅香南楽湯で車中泊。

633

24日、コインランドリーで洗濯。有名な大歩危、小歩危を見学し高知県道の駅633美(むささび)の里に車中泊。それにしても道の駅にはたまにこのような無理矢理なネーミングが存在するのだけれども、ここまで来ると一見しただけでは読むことは不可能である。さて、四国に上陸してからこのあたり、特に書くことがないのであるが、主たる理由として「四国、四国」と言ってここまで来たものの自分達は四国のことを何一つ知らないのであり、何処に行こうか決めないでいたのでこのような事になったのである。

 この日はレトルトのご飯にレトルトの中華丼をかけて食べたが、「このような組み合わせはもう二度としない」と思う味だった。やはりレトルトの場合、せめてメシは自分で炊くべきである。長旅の疲れか、第三のビールの酔いのせいか、車中でも爆睡だった。

shimanto

 25日、四万十川の源流を見に行くことにする。しかし向かう途中道を間違え平家の落人が逃げた場所だという村に行き着く。村のおばあちゃんの話はそれはそれは長く、自分達の先祖を語ってくれた。その後、無事四万十川源流登山口にたどり着き、徒歩25分源流を拝むことができた。道の駅布施ヶ坂に眠。

 26日、朝から豪雨のため若干の移動を経て停滞する。道の駅四万十大正で車内に眠。ところでこの道の駅はトイレに入ると自動的に音楽が流れる。「四万十の青き流れ」という四万十川を讃える歌である。

ラストシーン

 27日、四万十川の河口を見に行く。『MOTION』のクライマックスを撮影するが、何故か豪雨。感動的な画は抑えられずにそのまま宇和島経由、松山へ。道の駅ひろたで眠。

 28日、昨日『MOTION』のロケが終わってオフ。愛媛は道後温泉に行く。四国へ来たら寄ってみたいと思ってたいたので一つの達成感を感じた。がしかし「土佐ガツオが食いたい、食わないと一生後悔する」と愚兄の奴がぐずり始める。そういうことはもっと早く言え。四万十川の河口からならすぐ着いていたのに…。引き返すように高知県土佐市。高知市から高松市へ続く国道32号線から少しそれた森林公園で四国初のテント泊。カツオとシイラの刺身をご満悦で食す兄。シイラの半身を軽くソテーして食べた。

 高松のドトールより。四国の旅日記は忙しくて書いてる暇がなかったので箇条書きにしました。もうすぐ本州へ渡ります。

終わった

 5月27日、『MOTION』ロケが終わった。思えば四国は、いや西日本は手ごわい敵だった。今までホームグランド的に旅してきた東北は何処に行ってもそれなりに及第点を付けられる野宿地が見つけられたが、西日本は全域にわたって野宿地を探すのが難しく殆どが道の駅での車中泊であり、時には地元の走り屋、ヤンキー、アイドリングをしたまま就寝いたすトラックの運転手などに安眠を妨げられながらの睡眠だったのである。

 はっきり言って純に四国を楽しめたのかと言えば首を捻らざるを得ない。カメラを回していて「あんた何してる人?」と問われても上手く説明出来ない後ろめたさ…。番組の編集はこれから帰ってやってみないと分からないのだけれども素材はバッチリ良いものが撮れたと思う。

 宿毛のモスバーガーより。もうすぐ帰るぞ。

最後に…

告白します。

 5月22日の日記にある最悪な出来事とは…、車を掘りに落としました。別に車に傷が出来るのは一向に構わないが(傷はなかったけどね)旅の最中事故はちょっと落ち込む。三年くらい前に一回秋田でぶつけられた経験もある。

 そして事件はそれだけですまされなかった。その日寝ようとしたら大事なものが無かった。忘れ物をした。35キロ引き返した。車を堀に落とした気分最悪で忘れ物を取りに行く。ああ…。